March 10, 2010

このフォントはなんだ。

このフォントはなんだ。
ところどころ昔のイワタっぽいが、違うのが混じっている。
合成してるのか?

February 12, 2010

オンのbuzz、オフのtwitter | その他雑感

デスクトップ版のGoogleバズを使ってみた。まだいろいろと分からないこともあるけれど、だんだんと分かってきたこともある。のでまた感想を。

ちょっと触ってみて、バズは仕事にはいいかもしれない。と思った。逆に言うと、プライベートの日記として使うのなら、twitterの方が向いている。
この間、「バズはコンテンツありき」のようなことを書いたけれど、やはり「何かを共有する」のにバズは向いている。その「共有したいもの」を伝えたり、それに対して何人かで議論しあうのにぴったりなシステムになっている。だから仕事にはいいかもしれない。プライベートで使うにしても、少し理性的な、例えば学問や、新製品や、新事業や、そういうニュース記事などについての議論を交わしたりするのには合っていると思った。今夜の晩ご飯のおかずが何がいいか質問したり、ご飯に生えたきのこの写真をアップしたりするのには、あまり向いていないのではないか、と。

いや、向いてない訳ではないのだ。そういうことをするならtwitterで十分、という気が、今はしている(twitter的な使い方をする人が今後たくさん現れて、そっちが主流になる、ということもあるかもしれないとは思う)。
具体的にtwitterと何が違うのか、そもそもバズってどう使うのか、自分なりに気づいたことをいくつか。というか体系的に書くのがすごい難しいなこれ・・・。ばらばらと書きますので適当にお読み下さい。あんまりハウツーにはなってないです。

●バズ = friendfeed + Gmailのスレッド機能
firiendfeed(ff)というのは、知ってる人は知ってると思うけど、自分のブログとかtwitterとかflickrとかtumblrとかのポストを、ひとまとめのタイムラインで一覧できる、かつtwitterみたいに他人とタイムラインを共有できる、っつうサービスです。確かGoogleもちょっと噛んでた(よくわからない)と思うんだけど。
バズでも、バズ上でした投稿だけでなくて、Googleリーダーで自分が記事につけたコメント(いわゆる共有コメント)とか、Picasaに自分がアップした写真とか、自分/他人のtwitterのタイムラインとか、そういう他のフィードも自分のバズ上タイムラインに流せる。とてもffに似ている、というか発想は同じ。違うのは、取り込めるフィードがまだ少ない、ということ(バズでは、基本的にGoogleのサービス+αという感じ。アマゾンとかのはできないと思う。flickrはできる。他のサービスでも、接続リストに出てきたり出てこなかったりで、まだ不安定の模様。tumblrはできるという情報もあるけど僕のとこでは簡単には設定できなそう。しないけども)

で、そのように取り込んだフィードや、自分の発言が、タイムラインにどんどん流れていき、さらに他人をフォローすることで、その人のタイムラインも自分に流れていき…、とだんだんカオスになっていきますが、またここでtwitterと違うのは、「投稿に対してコメントできる」ということです(というかそれが本質?)。
twitter でいうところのメンション/コメント付きRTのようなものが、それ用に最適化されてはじめから備わっている、という感じです。尚、投稿についたコメントは、タイムラインの進行方向(下→上)ではなく、投稿ひとつがGmailのスレッドみたいになって、コメント達が上→下へ流れていきます。スレッドの流れは上方向に、スレッド内のコメントの流れは下方向に流れる、という感じ。ああややこしい。

このスレッド機能は、twitterにはない新鮮な機能だと思う。twitterで会話していると、リプライをたどるのが結構面倒/長時間の会話はなかなか続かないけれど、こちらだと、Gmailの返信しあいっこみたいなことになる。良い意味ではひとつの話題に対して深い議論ができる。悪い意味ではひとつの話題に引っ張られて、タイムラインの刹那感が損なわれる/自分の タイムラインが2ちゃんみたいになる。

●twitterと同じところ、違うところ ― ええい箇条書きだ
<メンション・リプライ>
やはり「コンテンツありき/何かを共有するためのもの」だから、なのかどうかはしらないけれど、「とりあえずこいつに話しかけよう」と思ったときの自発メンションができない。
いや、実際にはできるんだけど、それはメアドを知ってる友達ユーザーに対してだけで(@の後にメールアドレスでいけるみたい。でも@の後にユーザー名だとだめだと思う)、見ず知らずのフォローさんにこちらから話かけることはできない(恐らく。違ったらごめんなさい)。話かけたいときは、その人の何かの発言に対してコメントをするしかない。

twitterの場合は、返信があっても、その返信元が重視されたりされなかったり(ああこの人とりあえずこのポストに返信してきただけで、内容は別物だ、ということがよくある)けれど、バズの場合、返信することによってスレッドが立ってしまうので、元の発言に関係のないメンションはしづらい、と思う。

<RT>
どうやらなさそう。自分がフォローしていない誰かのポストにコメント返しをしても、自分のタイムラインにそのポストがあらわれるだけで、自分のフォロワーのタイムラインにはあらわれない。晒したい情報は、URLをコピペして、自分の投稿としてポストしてください。

<DM>
twitterのDMも、バズでは基本的にできない。メアドを知っている人には、メールで連絡すれば済む話ですが。知らない人の場合、プロフィール設定で「メールによるメッセージ受付ますよ」と設定している人に対しては、 DM的な連絡がとれるみたい(メアドを公開するのではなくて、送信者はフォームを使って連絡→受信者はメールボックスに届く、という感じだと思う)。設定してない人に対しては、DMは送れない。

<リスト>
そんなものはない

<フォロー・フォロワーの開示>
twitterの場合は必ず開示されてしまうけれど、バズではプロフィール設定で非開示にすることもできる。

<ふぁぼり>
「Good!」というのがそれに該当すると思う。Googleリーダーの「お気に入り」のようなもの。他に誰がGoodしたかも分かる。自分がGoodしたものの一覧は、どこで見られるんだろう…わからない。

<検索で自分をひっかけられるようにするかどうか>
これもする・しないをプロフィール設定で設定できる、と思う。
【追記】できることはできるが、検索にひっかからないようにすると、見ず知らずの他人にコメント返しすることができなくなる模様。基本は公開しろって言われてます。

●バズのだめなところ
・投稿?ポスト?コメント?バズ?つぶやき?いったいどれだ。― 「投稿」たちのことを、なんと呼ぶのか、まだGoogle側でも定められていない。ひとつの投稿に対する返信は「コメント」だし、自発的なつぶやきは「つぶやき」なのか?「バズ」なのか?わからない。恐らくそれらは機能的に異なるんだろうけれど、でも言葉が統一されていない・説明がないと混乱するわ!
・ユーザー名がややこしい。― 基本的にユーザー名は「Googleアカウントで設定した本名(姓+名)」。なので漢字の人もいるし、姓名の間にスペースもある。しかし、投稿ウインドウの上に出てくる「投稿者としての自分の名前」は、「Gmailで設定した、送信者として表示される名前」となる。なぜだ!
・ユーザー名を変更しても、過去のポストの投稿者名は変わらない(多分)。― おいそれはまずいだろ!過去を変えられないのか?本名で投稿しちゃってあとからハンドルネームに変更いしても本名の投稿は残るしそれが嫌なら投稿ごと全部消せってか?
・過去の誰かの投稿に他人のコメントがつくと、そのスレッドは自分のタイムラインでトップに上がってくる。しかし、過去の誰かの投稿に自分がコメントをつけても、自分のタイムラインではトップに上がってこない(多分)。― ややこしい!
・自分のポストが含まれるスレッドに新たなコメントがつくと、いちいちGmailの受信トレイに通知(実際はメール)が入る。― うざい…。でもこれはGmailのフィルタ機能を使って無効、というか無視にすることができる。あとスレッドごとにそれぞれ「ミュート」をすれば、以後そのスレッドにコメントがついても通知はされない。恐らく「全ミュート設定」はまだない。
・自分のGood!を一覧できないのなら、何の意味があるのか。― まだタイムラインの情報整理に使われているわけでもなさそうだし…。今後に期待するわ!

とりあえずはこの辺で。また書きます。

February 10, 2010

Googleバズは巨大なコメントシステムか

まだPC版のGoogleバズには触れていないのだが、iPhone版のは少し試すことができた。ので感想を。

何となくだが、このサービスは「コンテンツありきのtwitter」なのではないか、という気がしている。動画、写真、マップ上のスポット、ブログの記事など、いままでコメント欄がついていたようなGoogleのコンテンツを核として、そこにつくコメントを、ユーザーごとに整理するシステムなんじゃないか、と。

そう思ったのは、iPhone版のバズが、現在地との紐付けをしつこく要求してきたから。つぶやきにも現在地を入れさせようとするし、マップで見る、というボタンもでかでかと強調されている。ということは、バズに位置情報を埋め込ませて、反対に位置情報からバズを参照させるようなことがしたいのかな、だとしたら、食べログのような店コメントサイトを作りたいのかな、と思ったのだ。

mixiにも、同じような機能があったと思う。本とか映画とかCDに紐付いたレビューができて、そのコンテンツに対するレビューは一覧で見られる。ユーザーごとにレビューを一覧で見ることもできる。それを、本、映画、CDだけではなくて、Googleが持っているコンテンツにも応用できるようにしたんじゃないか、と思った。

そう考えると、Amazonがやっているようなパッケージコンテンツの販売も、Googleが本格的に始める可能性がある、ということなのかもしれない。実際、書籍とか音楽ダウンロードは手がけ始めているだろうから、そのうちYahooみたいな映画予約サービスもやるのかな(もうできるのか?使ったことはない)。今でも映画のコメントとかGoogle上でまとめて見られたかしら。あとで見てみよう。

と、まあ、iTunesのコメント、Amazonのコメント、ブログのコメント、Googleリーダーのコメント、食べログのコメント、YouTubeのコメント、flickrのコメント、Yahoo映画のコメント、そういうのを全部、ユーザーごとに一覧できるようにする。というのがGoogleバズなのか、そうだったら面白いし、twitterとも違うものになるな、と思った。

僕は、twitterの場合、ツイートにコンテンツが紐付くんだと思ってる。あくまで誰がつぶやいたのか、が重要で、だからツイートの参照はユーザーから辿ることが多い。ハッシュタグとかバズったーでコンテンツからの参照をすることもできるけど、どちらかというとそういうのは補助的な機能なんだろう。twitterに言わせれば、馬鹿言え、つぶやきこそがコンテンツだ!、となるのかもしれない。
Googleバズは、誰がつぶやいたか、よりも、何に対していつつぶやいたか、の方が重視されるんだろう。勿論、自分のコンタクトリストとか、狭いコミュニティの中では、誰がつぶやいたかも重視されると思う。でも、コンタクトリストをフォローとして登録するのは、人々をサービスに参加させて、つぶやきの内容を活発なものにするための、Google側の手法なんじゃないか、と。むしろ、知り合いがつぶやいたそのコンテンツに対しての、他のだれかの無数のつぶやきを参照させる、という方がメインになるんじゃないか、と思う。はい、完全に憶測です。間違ってたらごめんなさい。

そうなると、twitterに対するユーザーの態度と、Googleバズに対する態度は違ってくる。書き込む内容も当然違う。でもなあ、このあたりはまだわからないな、やめよう。twitterに対する態度ですら、人それぞれだ。Googleバズは、twitterよりももう少し使い道を限定したもの、というくらいにしておきます。

もし、Googleバズがいま書いたようなコンセプトのサービスだとしたら、Googleは今以上に、沢山のユーザープロファイルを集めることができるようになるんだろう。その人がコメントしたコンテンツを集計して、Amazonみたいに似た物を売りつけることもできるし、映画やブログフィードの紹介をすることもできる。もっとマクロ的に、国別、属性別のトレンド情報をパッケージとして提供することもできる。ああ、こわい。Google、こわい。


個人的には、Googleリーダーのコメント共有の使い方がわかりづらいので、それが少しでもバズと連動して改善されると嬉しい。Googleリーダーはコンタクトリストとの連動もまだうまいことやってないし、そもそもみんなが始めようとしていない。これが一番の問題だ。もっと使いやすくなって、参加しやすくなって、意見交換がしやすくなるのなら、とてもいいことだと思いますよ。Gmailとの統合も、気軽に始めるのにはいいことだろうし。流行るといいですね、Googleバズ。

February 09, 2010

500日のサマー

NOL用下書き。いずれ本家サイトにアップする。
少しネタバレしていますのでご注意ください。

−−−−

互いに振り回されあう男性と女性の映画。一応男性が主人公。
相手役の女が、去年のイタリア旅行の飛行機で観たジムキャリーとの映画(イエスマン)で随分よかったので、観に行った。

○話の結論はさほど重要ではない

この話、簡単に言ってしまえば、「片思いをして振られるまでの話」なのだ。別にどんでん返しもトリックもない。ハラハラさせられるわけでも、人生の示唆があるわけでもない。でもその話を、どう語り、どう観客を感情移入させるか、というところでいろいろな工夫がなされていて、観ている者はあちら側の世界にかなり引き込まれてしまう。

実際、多くのレビュワーがストーリーについてさまざまな意見を述べている。それは、話の結論に対してではなくて、主人公の言動や、それに対する相手役の応対など、登場人物の一挙手一投足、あちら側の世界でおきたあんなことやこんなことについてであることが多いように思う。映画のつくりや、制作者の意図、ストーリー進行に向けた批評は驚くほど少ない。これは、ストーリーに微塵の違和感もなく、観る者が映画をリアリティとして捉えた、その結果であるように思う。(もしかすると、多くの恋愛映画がそうなのかもしれないが)

登場人物の言動の是非や、それに対する個人の感想、経験は他の方にお譲りするとして、ここでは、あえて映画の手法や細かい技法についての感想を述べようと思う。(とまあ偉そうに言っておりますが、別に僕は映画をたくさん観るほうでもありませんので、すでにその界隈ではメジャーな手法として認知されているものがあるのかもしれません。その際は悪しからず)

●時間軸を壊す

各シーンの最初に、今何日目か、の提示があって、エピソードが始まる。ひとつのエピソードが終わると、その日の日付から、次の場面の日付まで、ザ・ベスト10のランキングスコアみたいに表示がくるっと回転して、またシーンが始まる。この日付提示カットは全編共通で、「作者の独断」により次のシーンが選ばれていく。たとえばはじめは480日目、次に1日目、15日目、というように。

時間軸どおりに話を進めたらお決まりの展開になってしまうのを、あえてうまく崩壊させているようにも思える。確かに、1日目から始まるんだろうと思って観ていると、ファーストシーンは400何日目かで、意外だった。そのシーンが後々、ラストシーンにつながる重要な場面となったりもして、小手先が利いている。

ただ、日付が前後しまくるので、たまに前後関係がわからなくなる。なぜ主人公は落ち込んでるのか、その理由を理解しないまま話が先に進んでしまったりする。同じ場所での出来事を、日付を変えて対比させるなど、いい効果の場面もあるのに、残念だ(観る者の観察力、理解力の問題であるのだろうが)。まあ、もう一度観ればいいのだろう。

●子供時代のシーン

オープニングで主人公と相手役の子供時代の映像が流れるが、一部に、本人でないか、というくらい似ている子供が出ている。本人ぽい映像は顔のアップがあるが、似てない高校時代の映像は口元、引き画だけだったりするので、本当に本人の子供時代の映像なのかも知れない。

●ディズニー的な心象描写

主人公が嬉しがり、出勤途中に街の人とミュージカル風に踊り出す場面、ディズニー映画の「魔法にかけられて」パロディだろうか。もう少しドラマチックに撮ってもよかったのではないかと思った。ディズニーに比べるとすこしあっさりしていてせっかくの踊りが勿体無い気もする。ただ、場面としては凄くいい場面で、役割は十分果たしていると思う。

●2画面分割の同時進行シーン

主人公の頭の中の理想世界と、現実世界が同時に画面に表示される場面。左半分は理想世界、右半分は現実世界。観覧者が理解しやすいよう、左右で時間差をつけるべきところはつけ、同時進行にするべきところは同時に流す。演技の差もあっておもしろい。結局現実は理想どおりには行かず、理想を一度頭の中で考えた上で現実を過ごす主人公はとても空虚な目をしている。理想の中の女はとても優しいが、現実はとてもそっけなく社交辞令じみている。

同じ世界の内容を2画面分割、別カットで描写することは多くあるが、パラレルワールドを同時画面に表示する例はあまりないのではないか。

●手書き絵への変換

理想・現実場面の最後で主人公は相手役の女が婚約指輪をしている現実を目の当たりにする。1番の衝撃的シーン。パーティー会場から逃げ出して外に出ると、主人公の前に広がる街並みが鉛筆画に書き替えられていき、その後全て消しゴムで消される。主人公は建築家志望であるので、主人公の頭の中の処理の様子を描いたものなのかもしれない。

○で、相手役の女は、結局どうだったのか

すばらしかった。もう一回観たい。

January 25, 2010

ライター

僕はよく知らないんだけど、フリッパーズギターが再結成したらどうなるだろうか。誰かの何かの読み物で「(昔はとげとげしていたけれど)近年は二人ともお互い大人になって、難しく考えるようなこともなくなったようだ」って書いてあった。難しく考えなくなったからまたやるとも限らないけども。また、やったからいいものができるとも限らないけども。やって欲しい、というわけでもないのです。別にどっちでもない。よく知らないんだったら軽いこと言うなよ、とね、すいません。

普通のことを、大して深い意味もないことを、面白がって、わかりやすくしようとして、何かしら理由をつけ、高度に解釈している人、ライター。本人(インタビュイー)たちが何気なく言った少しの言葉をいちいち細部まで取り上げて、ここにはこういう意味が隠されているんじゃないか、などと、結構書き手の私見を織り交ぜながら、でも読者にわかりやすく興味深く構成し書き起こす。

というそんな仕事をしているインタビュワーたちもどこかでうんざりしている、けれどそうやって少ない言葉に理由づけをして何倍もの分量にするのが自分の仕事だし読者はきっとそれを期待していて、さらに悲しいことに読者なくして書籍は成り立たないもんだから、と、そう信じなければいけないことに、風潮になっているから、うんざりしながらもそんな仕事から抜け出せずにまたやってしまう。

実は読者だってそういう詮索にうんざりしていて、深い解釈に大して興味なんてなく、ただ生の声が聞ければそれで満足なだけのに、ライターは生声よりその裏の真意(のようなもの)をたくさん取り上げるもんだから、仕方なくそれを読む。あるいはいっそ読むのをやめてしまう。同様にインタビューされる本人たちはそんなスパイラルを目の当たりにしてかどうだか知らないが、だんだん子供じゃなくなるにつれて貝にとじこもりライターの前にでなくなる(まあ、大人になるにつれてまたライターの前に姿を現すのだけれど。そもそもはじめから大人な本人たちはライターや読者とうまいことやっていることが多いし)。

若い、次の世代の歌い手たちが、ライターの餌食になり、それに群がる読者も下の代に世代交代する。

こういうことを、たんなる世代のずれ・交代、と捉えるか、
だれも望みもしないことを、いままでそうやってきたからという理由でやり続けているだけ、と捉えるか。眠くなってきた。

January 13, 2010

回線

iPhoneが、この先どうなるのかについて、少し思うところがありまして。

パソコンは、毎年新モデルが発表され、メモリやらCPUやら画面やら、「それまでと同じ機能でも、パフォーマンスが改善された」新商品が出続けています。
ごくたまに、何年かに一度、新しい機能が付け加えられることはありますが、メイン機能は変わらぬまま。より早くなった、より綺麗になった、がたいていの宣伝文句です。

また、そのハードの進化(というか改善)とは別に、OSやソフトの進化、というものもあります。ハードの進化に比べてソフトの進化はゆっくりで、更新スパンは長いことが多いですが、その分、更新時には新機能がたくさんつけられることが多いです。

そしてこれまで、ハード業者もソフト業者も、それぞれがこういう独自更新をし続けて、飯を食ってきました。

で、iPhoneです。
今のところ、iPhoneはハードとOSがセットで売られています。しかも同じ業者から。OSのアップデートは今のところ無料。OS以外のソフトは別売りで、無料のものも有料のものもありますが、値段は開発者にゆだねられています。

ここで疑問に思うのは、
・今後、iPhoneのハードの更新スパンと、OSの更新スパンはどのくらいになるのか、
・また、更新ごとにかかる金額はどのくらいになるのか、
・更新によって、どのくらいの新しい便利さがユーザーに提供されるのか、
・更新をしなかった場合、ユーザーはどんな不便を強いられるのか、
とかそのあたりのことです。
Appleは、iPhoneをどのように売ろうとしているのか、逆を言えば、僕らiPhoneユーザーは今後、iPhoneにどれだけお金を払うことになるのか、それが気がかりなのです。

もちろん、新規ユーザーの拡大でAppleは今後も儲けられるでしょうから、少なくとも数年は、ユーザーに対する新たな課金が始まることはない、と(希望的に)思っています。みんながiPhoneを持ち終えた後、どうなるか、が気がかりなのです。
(もちろん、その頃には新たな技術が出てきて、あるいは新たな競合が出てきて、あるいは・・、と枚挙に暇がありませんが、
その辺はまあ無視します。)

まず、iPhoneのハード面について。
焦点は、iPhoneに、より強力なマシンスペックは必要なのかどうか、です。
パソコンと違い、今のところiPhoneにはマシンスペックに依存するアプリケーションがさほど多くありません。ゲームや動画など、もちろん該当するものはあれど、それ以外にたくさん有用なアプリはあるし、それらの大多数アプリが扱うデータは、文字か低解像度の画像ばかりです。現在のマシンスペックでも充分に動作します。

今後、もっとマシン付加の高いアプリが出現し、それがモバイルの小さい画面で操作するのにとても都合がよく作られていて、さらに外出先でそのアプリを使った作業(作業とは限りませんが)を行うことを多くの人々が求めているなら、よりハード性能の高いiPhoneを出す意味もあると思います。
(一番可能性が高いのはゲームアプリです。ただ、僕はあまりゲームに興味がないので、大きく取り上げていません。すいません。)
何となく僕は、iPhoneハードの進化はそんなに進まないんじゃないかな、と思っています。進んだとしても、ユーザー全員が毎回買い換えるようなことにはならないんじゃないか、と。結果的に、これではあまりAppleは儲けられないんじゃないか、と思います。

次にソフト面(OS)について。
焦点は、iPhoneOSのアップデート時に、顧客から料金をとるようになるのか、です。
可能性は高いと思いますが、個人的にはやって欲しくありません。だってお金を払いたくないから。今まで無料で提供されてきたものに、お金を払うというのは、気持ちがいいもんではありません。
Appleにとっても、そういう消費者意識を鑑みて、各回のアップデートで顧客から取るお金にはある程度の上限を設けるでしょうから、結果的に、ここでもAppleはそんなに儲けられないんじゃないか、と思います。

普通なら、ここで、アプリの販売マージンで儲ける、という話にいくんでしょうか。実際もそうだと思います。
あと、iPhoneデータのクラウド化というユーザー向けの別サービス(モバイルなんとか)で儲けるというのもあるかもしれません(でもこれも皆がやりたいわけじゃない)。
あるいは、誰も予想してない、でも誰もが欲しがる新ハード機能(ラジオとか、大画面とか、カメラ高解像度化ではない何か。感覚フィードバックディスプレイかもしれません)でもうひと儲け、という可能性も充分にあります。

いちユーザーから見て、これにならお金を払ってもいい、ということ。
それは回線です。
今のiPhoneにとって、回線は生命線です。ローカルにダウンロードしたアプリや音楽で充分楽しめるには楽しめますし、それ以上のものは求めない人も中にはいるでしょうが、何かをダウンロード・アップロードする手段としてiPhoneは便利だなと思いながら使っている人もたくさんいるはずです。
でも、今の回線は弱くて遅い。貧弱すぎます。なぜ携帯電話を普及させるときにはじめからwifiを全基地局に完備しなかったのでしょうか。今の回線は貧弱で、僕らの求めるものとはかけ離れています。
もし、日本のどこでもつながる高速無線回線があったら、そこに月々いくらかのお金を払うことは、検討に値することです。

個人的には、Appleにはここで頑張ってもらえるとうれしい。各国の回線業者と手を組むでもいいです。少なくとも今のような完全丸投げはよして欲しいな、なんて思ったりしているわけです。
あるいは、もしgoogleがこの回線に手をだして、端末とOSと高速回線をセットで、無料で配布しだしたら・・・、なんて考えるととても楽しいわけです。

January 09, 2010

依存

同じことをずっとやっていると、ちいさな違いが何となく見分けられるようになる。デザイナーは、微妙な間隔や曲線についての感度が上がるし、マーケッターは、調査のスコアとか、製品のポテンシャルについての感度があがるらしい。ゲーマーも、画面を見る力とか、指の瞬発力が

同じことをずっとやっていると、そのことを考えたり見たりするように体と頭が適応して行く。何歳になっても適応は出来ると思う。ときにそれを依存と呼ぶこともある。

January 08, 2010

プログラム販売

プログラムが見た目で売れる時代をつくりたい、と中村さんはいった。
でも見た目っていうのは、やっぱり二次的な価値で、もちろんその価値のために大金・小金を出す人はいるのだけれど、どう頑張ってもマジョリティーじゃない。

プログラムにお金を出すのは、
1便利さ、昨日/2UI/3その他のデザイン、見た目
だとして、2も3も、1をより使いやすくするためのもので、1がなければ成立しない、という気もするけれど、それは1を目的にしたプログラムの場合であって、2や3を目的とした、ものもあってもいい。

水を飲むためのコップに、持ち手や保温機能や耐熱機能が付いて、
さらに飾りつけが付いて、慈善寄付や低環境負荷が付いて、
さいごにはコップという名のガラスの塊になる。
それで結局はそのガラスの塊が単価としては一番高く、原価としては一番安い、という。
マジョリティーにただの紙コップを安く売るか、マイノリティーにガラスの塊を大金で売るか、まあどっちでもいいんだけど、それは自分がやりたいことが何かによって判断すればいいのでは。

January 07, 2010

googleは

インターネットをテレビにしたいのだろうか。
そして自分は電通になりたいのだろうか。
テレビを買いさえすえば、
無料で、つければなんでもすぐ見られて、遅延もなくて、楽しい。
そこで広告枠を企業に売りまくる。マージンをとる。
マージンは電通より低いかもしれないが、自動化して数をこなせば、儲けは大きい。
インターネットのバッググラウンド言語は共通なので、世界で枠を売れる。

グーグルが電通を目指しているのではないにしろ、
手を広げすぎてぐしゃぐしゃになるのはどうかしら。

テレビに対するインターネットのようなものが、
インターネットに対しても出てくるとしたら、それは何か。
人の頭の中、か。

January 05, 2010

年末進行

年末年始が終わって、もう通常進行だ。テレビ番組の編成も普通に戻ってしまった。いわゆる祭りの後だ。

しかし休んだ気がしない。色んなとこに行って色んな人に会ったので、そんなことは普段の休みにはしないので、休んだ気がしないんだと想う。でも休んだ気がしないから駄目という訳でもないんだけど。

こんな寒いのに短いソックスを履いてきてしまったのを後悔している。まだ冬は終わっていないのだ、むしろこれからなのだ。喜ばしいことだ。

休もうと思っていた28月は休めなかった。昼に何処かへ皆で美味しいものでも食べに行くのかなと淡い期待を抱いていたが叶わず。何を食べたんだろう覚えていない。家計簿つける時に思い出そう。

29 は新宿で高校の同窓会(6人)。新宿なんて何ヶ月振りだろうか、新宿で飲むのは多分初めてだ、と思いながら参加した。久々に会ってもやっぱり高校の友達は高校の友達で、大学や会社のそれとは違う。このモードは一生変えられないんだな、と。その後、参加者の一人の彼女を誘ってファミリーイタリアンレストランで二次会的な何か。終電で帰る。流石年末満員電車ではない。一生のうちで、年末都会方面へ帰っていくのは恐らく去年一回だけだったな、と今思った。今年の年末はもう都会には住んでいないだろうから。

30は新宿で飲み会(15人くらい)。知らない人と、だ。twitterで偶然お知り合いになった、昨日会った高校の同級生の小中時代の親友にお誘いを受けて彼等の忘年会へ、だ。とても新鮮だった。合コンってこういう感じなのかな、と思ったけど、やっぱり違うか、あの日は知らない人しかいなかったから。インターネットで知り合った「知らない人」と会うのも、新宿で二日連続飲み会したのも生まれて初めてだ。この歳になっても生まれて初めてを日に二度も経験できるんだな、と今思った。

同じ日、中目黒で大学仲間とクラブイベント(15人くらい)。クラブイベントといったら聞こえはいいが、単なるお気に入りCD朝まで掛け大会、だ。素晴らしいイベントだった。僕はトッププレイヤーで45分間、日本語ポップスをかけまくった。録音しておかなかったのが悔やまれるが後の祭り。

朝 6時に帰ってきて、そのまま妻と僕の実家へ出発。途中古民家改造蕎麦屋で高いがうまい鴨蕎麦を食べたり、お互いの実家へのお年賀を買いにデパートへ行ったり、した。テレビを見て、生姜焼きメインの夕食を皆で食べ、紅白をみながらひと眠りして、カウントダウンはフジのジャニーズ、【ここまで2009年/ここから2010年】その後、ぐるナイみて寝る。あけましておめでとう。

December 28, 2009

まつたけ

松茸から何を思い浮かぶか。下品なもの、高級なもの、いやらしいもの、セレブなもの、卑猥なもの、いろいろだ。

だからって何でもない。何を言いたい訳でもない。何を言いたい訳でもない時に、何が書けるのかを試してみたのだが、別段どうということもなかった。

僕の文章には癖がある。言い回しの癖。体言止めを多用したり、何かの一例として単語を羅列したり、動作を表す名詞を沢山使ったり、だ。

頭に浮かんだ文をただタイプしていき、ある程度書いたら一旦止まり、読み返す。違和感があるところは直し、続きをタイプする。結論がはじめからある訳ではなく、書いているうちに落ちを思いつく事が多い。落ちが思いつかない時は、もうその文章ごと捨てるか、適当に意味深なこと、意味不明なことを書いて終える。(ただ最近は意味深なことで終わらせるのはあまり好きではない。)全てを書き終えたら、もう一度最初から最後まで読み直して、おかしいところを直し、パブリッシュする。パブリッシュした後、もう一度サイト上で確認し、おかしいところを直す。これで終了だ。この後手を加えることはそうそうない。

僕は昔の文や絵や写真をみて、恥ずかしいとあまり思わない。恥ずかしいと思ったとして、サイトから削除しようとも思わない。直したいところはたくさんあるが、一旦全部取り下げようとは思わない。「カミングスーン」とか「工事中」とかサイトに書くひとがいるが、あれをやろうとも思わない。なぜか。めんどうだからだ。それだけだ。めんどうだから。それだけなのだ。

間もなく年明け。今年は色々なことがあって、とても盛沢山な一年であった。2009年、これ以上大事なことがおきませんように。痛いことは特にやめてください。みんな健康で、極力無理せず長生きできますように。人生普通が一番、ちょっと驚きあれば尚よろし。さて明日から忘年会ラッシュであります。帰ったら明後日の年忘れDJで掛ける曲を考えよう。人生二度目のDJだ。

December 24, 2009

ダウンロード

もう年末だ。でも僕はダウンロードをしている。動画に画像にテキストに、ダウンロードをしまくっている。いつものことだ年末だからという訳じゃない。
誰が何をダウンロードしたか、は、その人が何を食べたか、のようなものだから、政府が全て把握することは許されないのかもしれないけど、それをひとつの企業でやろうとしているところもある。とにかくどうなってしまうのか、僕にはよくわからない。予想もつかない。
ダウンロードで何が満たされるのか?何でもですよ。足りないものをいろいろと埋めてくれる。まだまだダウンロードできないものはたくさんあるけれど、そのうち何だってできるようになるだろう。昔は声だって遠隔地に伝えられなかったのだ。
ダウンロードする人は、いま世界中で増え続けている。ダウンロードとアップロードすることで、世界は回っているような気もする。やりとりしている内容は様々だけど、使っている基本システムは同じだ。そしてさらに、それをもっと速く、直感的に、気持ちよくできやしないか、そうすれば人々はそれにたくさんのお金を払うんじゃないかと考える人達が、日々研究開発に勤しんでいる。お疲れさまだ。


なんだか、宗教みたいだ、と思う。いや、正確には宗教に似ているというより、宗教が出来上がって広まって行った時のような反応を人類はしているな、と思う。なぜなら、僕の周りには二人、インターネット嫌いがいるからだ。その人達の話を聞いていて、そう思った。キリスト教を禁じた将軍と同じで、彼等にとってインターネットは、得体のしれない、気持ちの悪い、理解のできないものなんだそうだ。それがどんどん巨大になっていき、しまいには世界を、自分を飲み込んでしまうんじゃないかと不安になっているのだ。インターネットをヘビーに使いまわすギークな奴らも、将軍たちから見れば、まあ同じような感じで、異端者としてみられているんだと思う。
逆に、ギーク野郎の側、例えギークでなくても、インターネットを利用することに抵抗がなく、その発展を素直に喜ぶ側からすれば、ダウンロードとアップロードのもたらす恩恵は、過去にないすばらしさだ。単純に便利になっただけでは済まされない、心の充足を、提供してくれるのだから。

僕は、喜ばしい反面、怖いとも思う。インターネットのせいで、いま想像しているような未来ではない、まだ誰も考え付いていない未来が、今後でてくる可能性もある。マトリックスなんて茶番なのかもしれない。もっとひどいことになるかもしれない。なのに毎日、未来のことをだいたいわかったふりしてみんな生きているのは、そうでもしなけりゃ不安でやっていけないからなんだろうなあ。

November 27, 2009

もう11月も終わってしまう

11月のロゴを更新しなくちゃいけない。
更新し終わったときの達成感のために、だ。
それをしないと後悔するので、しなくちゃいけない、のだ。
誰かのためではない。一人で完結する、なのだ。

電車の中で考える。
どうやったら面白い視点の記事になるか、
どうやったら写真を綺麗に見せられるか。
どうやったらふぁぼられるか。
記事を書いているとき、写真サイトを作っている最中には、同じように考える。
つぶやいている間は考えない。せいぜい短文の推敲ぐらいだろう。

何が自分にとって最良の手段なのか、よく分からない。
楽な手段で物事を出していくのが、好きでないなら、その手段は楽ではないことになるが、
今のところは、危惧あれど、嫌いというほど飽きてもいない。ただし好きというのには抵抗もある。

僕がやってる、自分wikipe的なnotebokoは、自己表現のつもりだが、
労力はツイッターと大して変わらない。どちらが優れているか。
後から読みかえすことは重要だろうか。投げかけだけで終わらせていいものだろうか。
断言することが怖い。断言することは事故表現に直結する。投げかけることは直結しない。逃げ道だ。

October 30, 2009

TWETER

ついったーの投稿をまとめて流すのはやめました。どうも、後から読んでどうなる、というものではなさそうだな、という気が沸沸と湧いてきたのです。まとめはtwilogに移行です。

ついったーをやって、初めて、ネトゲにはまる人の気持ちが少し想像ついたかもしれません。そこで少しブレーキをかけようかなという気持ちにもなりました。(別にかけませんが)

考えることを放棄しますねあれは。完全なる受身。ラクで楽しくて面白いのだけど、高校生の放課後にも似て、何もうまない、いや、うまない訳ではないのだけど、バンバンうまれる訳ではない、いや、うまれるんだけど、重要なことではない、というか、まあ、よくわかんないです。

ついったーにはまってしまうと、人によっては本を読まなくなったり、グーグルリーダーを読まなくなったり、ブログを書かなくなったり、家族との会話が減ったり、します。別に僕は、それが悪いことだ、と弾劾したいわけではなくて、急にそうなってしまう、ということが怖いと思っています。ほんの数週間の急激な環境変化です。そんな人を僕は沢山たくさん見てきました。ついったー離婚という言葉も生まれました。そして、さらに怖いのは、いまの所、ついったーには終わりがないばかりか、さらに盛り上がっていくかもしれない、ということです。まるでモンスターです。みんな食べられてしまいそうです。

ついったーで有用な情報が集まる、みんなとつながった感じでいられる、有名人としりあいになれる、面白いダジャレが読める、というのは多分全部あたっています。僕もかなりいい思いをしましたし今現在していますしこれからもしていく予定です。でもそんないいことだけではない、何かとても怖い、魔界への誘いのようなものがそこにあるような気がしないでもありません。自分を見失わず、誘いと上手く付き合っていける強さ、魔の手に立ち向かう勇気が、いまついったーにはまる人には求められています。まあ、別に、はまらない人にはそんな警告必要ナシですよね。知ってます。

September 02, 2009

くがつ

いざやってみて、夢みたいー、という気がする?やべやっちった、どうしよう、という感じかしら。

でも元々はあちら側でしたもんねみんな。どうってこたないか。むしろあちらの人が愕然として…。ずいぶんガチッと作風が決まってたから、急に反転するとどうも危なっかしいというか落ち着かないというか。


なんだかすっからかんになってしまった…。矢継ぎ早に思ったそばからクリック、タイプすると、それで終わった気になるな…。物が多いと逆に自分に多くが残らない、というか、情報酔いしマス貧乏になるでな。

はやく冬にならぬものか。待っているぞタンスで巻物が。

August 24, 2009

名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/12

156 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2008/08/12(火) 04:55:13 ID:r9SY5hL60
俺は自分の納得できるレベルの端末に交換するまで16回交換した。
白は目立つだけで黒も同様に同じ事があるのは経験上間違いないと思う。
仕事上、白、黒8G、16Gの3台持ち(この3台で合計16回)

11回の交換で分かった(経験した)外装等の不具合。

�背面ポリカーボネイトの塗装粒。
�背面ポリカーボネイトの目視で判別できない物〜目視で明らかにわかる物までのヒビ割れ。
(特に銀枠との合わせ目や金属部分との合わせ目に発生。イヤフォンジャックを1度差しただけでヒビ割れる事も。
�背面ポリカーボネイトに小さなへこみ〜大きなへこみなどが何ヶ所かある。
�正面銀枠とタッチパネルの間からの液晶の光漏れ。
(部屋の電気を真っ暗するとその隙間から光が漏れるのがわかる)
�正面銀枠とタッチパネルの間からの液晶の光漏れはその間に付いているゴムパッキンみたいなのがしっかりついていない。
(その様な端末だと隙間からタッチパネル内側にゴミが浸入してとれなくなる。また内部基盤にも汗や水分が浸入)
�銀枠と背面ポリカーボネイトの合わせ目に指で多少引っかかる程度〜2ミリぐらいまでの段差がある。
�タッチパネルに髪の毛やゴミが製造段階から混入している。
�タッチパネルに16Gや8G関係なく個体差があり、明らかに明るさが全く違う。
(以前問題のあったファームウエアの更新での液晶の黄ばみの解消とはまた別の問題)
�銀色のマナーボタンは接着剤で中のプラ部分に付けられているのですぐに取れやすい。
�端末のドックコネクタが中で歪んでいるためUSBのコネクタが真っ直ぐじゃない。
�カメラ内部に製造段階からゴミ混入。キズなども。
�SIMトレーの差込穴が適当な作りで穴が端の方にズレている物がある。
�スリープボタンがグラグラ動く端末がある。
�マナーボタンがかなり固い、または緩い。

August 21, 2009

スティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブズは、iPod の外見を損ねるものには、カバーであれ何であれ、非常に敏感に反応するのだ。
私は彼とのインタビューを録音する際に、外付けマイクと iPod を持っていったことがある。
「iSkin」という透明プラスチックのカバーをつけた iPod
を鞄から取り出した途端、彼は私に名画「モナリザ」に牛の糞をなすりつけた犯罪者を見るような目を向けたものだ。
もちろん私は、繊細なiPodに傷や汚れをつけたくないのだと言い訳したが、彼は聞き入れようとしなかった。
「僕は、擦り傷のついたステンレスを美しいと思うけどね。僕たちだって似たようなもんだろう?
僕は来年には五十歳だ。傷だらけの iPod と同じだよ

July 21, 2009

好奇心

感情移入できるかどうか、は、その人のことを沢山考えられるか、によっている。

その人に興味が持てるかどうか、その人についていろいろと想像できるかどうか。

そのためには、その人に関する情報が不完全でないといけない。また、不完全だが、完全な状態がうっすらと予感できる程度の情報で、見聞きする側が彼に好奇心を持てるようになっている方がよい。

その人に対する知識を自分で集め、もしくは想像し、勝手に補完するという動作で、彼に感情移入するようになる。

現代美術、映画、音楽、小説、キャラクター…と金を稼ぐ芸術はみんな結局そのモチベーションの上に成り立っている。作家に感情移入するか、登場人物に感情移入するか、俳優に感情移入するか、違いはあれど、結局同じこと。自分の中で誰かを考えている時間の長さ。

July 14, 2009

ディア・ドクター

方々で話題になっている(のか?)「ディア・ドクター」。
先週見に行ったのでその感想を書く。かなり散漫です。

* * *

僕は以前、同監督の前作、「ゆれる」を大絶賛した。
どうしてもそれと比較してしまう。

●演技

前作のよさは(というかたいていの映画のよさのひとつは)、
「とてもやりきれない感じと、その後の救われる感じ」だと思う。
ゆれるはさらに、主演俳優の1人の演技が狂っていたので、
より、やりきれなさ、救われた感が強かったのだと思う。

見ていてゾッとする演技、というのを、演技がうまいというのかどうか分からないが、
ゆれるでの演技は、見ていてゾッとする演技だった。
あーこういう人間、こういうしぐさは見たくない!というのがわんさか出てくる。
表情や動きで、見ている人の心拍数を上げるというのは、
やはり並大抵のことではないのだろうと思う。

それは脚本と演出によって発生したものでもあるので、
一概に演者だけが良かったということでもないだろうが、
しかしあの演技なしには成立しないだろうと思う。

と、いうのと、今作を、どうしても比較してしまう。
今作には、そのゾッとする演技もないし、
「やりきれない感じ、救われる感じ」も、薄い。

テレビドラマや、テレビ局制作の映画などに比べたら、
脚本も演出も演技も全然種類が違って、
ある程度楽しめるものではあると思う。
それは、監督のおかげだと思う。

しかし、見ていて心拍数は上がらず(ストーリー的に、ということではない。
まあストーリー的にも少し山谷がない気もあるが)、
前作以上をどうしても期待してしまった僕には、
なんだか物足りなかった。

唯一、今作にも出ている例の役者が刑事二人と喫茶店で渡り合うシーンで、
例の狂った演技。それがよかった。
あれは、それだけを何度も見たい、と思うような、中毒性のある演技だと思う。
(どうやったらああできるのか・・。やはり遺伝子によるものなのか。
全身全霊を傾ける、という。なんだか、
熱心なパンク演奏者が全身で演奏しているようなのにも近いし、
憑依したイタコにも近い。)

映画で、監督に出来ることには限りがある。
いくら演出をしても、結局演じるのは役者。
全部を統制しようとするなら、小説かマンガにするしかない。アニメも自分ひとりでは作れない。
しかし、全部をひとりでやったとしても、ゆれるは作れなかっただろうと思う。

主役を別の役者にした時点で、
ゆれるを超えるもの(同程度のもの)は作れない、ということを、
僕は理解しなければいけないのだと思う。

●脚本

彼女は、今作で、
「前作を公開した後、自分には大した中身がないにもかかわらず、周り(世の中)が何故か自分を持ち上げる現象」を
映画にしたかったそうだ。
彼女は主役の医者で、世の中は医者がいる村の住民だそうだ。
「周りが考える自分」が、「自分が考える自分」を追い越していき、
追いつけなくなってしまった時の(特に有名人が感じる)空虚な感じは、確かに、今作で描かれてはいた。

ただ、それは、前作の

「親の世話を自分だけがして、でも弟は東京で自由に遊んで暮らしていることへの苛立ち」
+「とても好きな女性に嫌われてしまってどうすればいいかわからない」
+「でも自分はそんな状況に絶え、ずっとやってきた、という自負がある」
+「なのに弟のせいで全部めちゃくちゃに、しまいにゃ刑務所に入れられることに」
という、全編で描かれる最低最悪の兄の心理状況と、
ラストシーンでほんの一瞬だけ出る、救われる感じのシーン

には、
見る人が感情移入できるかどうか、
見終わった後に深く考えさせられるかどうか、
主人公に幸せになって欲しいと願えるかどうか、などの面で到底かなわないと思う。
まあ要するに話がたいしたことないのだと思う。

今の世の中で有名人になる、ということは、
とてもたくさんのリスクがあり、我慢しなければいけないことが随分多い。
それが分かったところで、私の暮らしには何も影響しないのだ。

彼女の描こうとする、「善と悪の境目がはっきりしない、人間というもの」を2時間の話にする時に、
合っている設定と、そうでないものがあるのだと思う。

●次回作は

見る側は気楽だ。
いくらかを払って、映画を見て、よいか悪いか勝手に批評して、
また作れ、と言う。
受身の癖に、文句言い。まあ金を払っているんだからしょうがない。
資本主義では金を稼ぐのに散々ストレスがたまるようになっている。
有名になればなるほど、ストレスがたまる。


このまま、「善と悪の境目がはっきりしない、人間というもの」を、
ややわざとらしめの映像(僕は大好きだが。溶けるアイスクリームの10秒の映像とか、
ボケた老人が新聞紙を洗濯して干している映像とか。)で、
言葉少なめに演出して、という手法をずっと続けていくのだろうか。

僕は続けていって欲しい。三谷幸喜みたいに。
出資する(金だけ出して、勝手なこという)輩の言うことを聞いて、
その個性をなくしてしまうのはやめてほしい。
少なくとも、その個性についている客が、僕も含めて大勢いると思う。

「同じことを2度とできない」という、エンターテイメント界の癌思考にとらわれず、
同じことでもなんでも、作りたいと思ったものをお願いします。
自主制作的といわれようがパクリといわれようが、
本人が自身を持っていればいいと思います。

たとえもうゆれるを超えられなくても、ゆれるはなくならないので、
別にいい。
ゆれる的なものをまた見せてもらえるだけで、充分受け手として幸せだと思う。

July 10, 2009

日光

合宿の帰りに日光へ行った。今回は華厳の滝へ。滝、海、川、ダム、霧・・・。どうも水の景色には弱い。中でも滝はかなり手強い部類。

行く途中で放流中のダムも見学できこれは運がよい。天気にも恵まれたし、と思った矢先、日足トンネルを抜けると小雨、いろは坂を登るとさらに濃霧、というか雲の中?すげー霧。何も見えない。霧が濃すぎてひとが買ったこんにゃくを私うっかり地面に落とす・・・。

行きの高速もすごい霧だった。赤城高原あたり。いつも霧だからなのだろう、照明が道路脇の低い位置に取り付けられていて路面を照らしていた。ん?去年はあったっけ?こんなの。寝てたのかな。着くとひでお君が出迎えてくれた。また来てしまった、シェラ。遅れます組の中ではかなり早めの到着。9回目?くらい。

全体曲を合宿終わって聞いているが、いい・・・。しかし泣けるな簡単なコード進行なのに・・・。大勢の人があんなに人目をはばからずに大騒ぎするという・・・、なんと幸せな時間。音楽辞めないで、って語りよかったなー。辞めない辞めない。ラップは演奏してたからあんまり聞こえんくて残念。誰か映像を貸してください!

合宿行くと必ずそういう当たり曲に遭遇できるので得した気になる。さすが年一回渾身の曲決めをするだけのこと。

丑三つ時に寝て標準起床時刻前に無理矢理起きる、というののせいか、お口が荒れる。温泉で太田君と唇周りの悩みについて語りあう。今年は今までで一番口に負担がかかった・・・。あの曲のせいか?わからんが痛い癖に吹き始めると気にならなくなって散々吹くもんだから怖い。多分今週のバンド練は吹けませんすいません。

華厳の滝は霧の中でもはっきり見えた!さすが日光、すげー高い。水がたくさんたくさんおちている・・・。しかもスローモーションで。打ち上げで袋田の滝の話題に。あそこは夜中に行くとまた怖くてよい。暗い、湿っぽい中で轟音とともに何かよくわからないものが大量に上から下へ落ちているという、よく分からない怖さ。