July 12, 2008

世の中から101をなくしたら

フォントの話。101という、広告などでよく使われているフォントを、世の中からなくしたら、ほぼすべてロダンに変わる。ロダンというフォントはそういう存在。一部、ヒラギノやAXISや新ゴというフォントにも流れるはず。次に新ゴをなくしたら、AXISとヒラギノに流れる。一部ロダンにも流れる。次に、ロダンとAXISとヒラギノ全てをなくしたら、シーダが残るだろうか。シーダはモトヤという老舗の活字屋。老舗だが、ここまできてやっと選ばれる。シーダがなくなれば、もしかするとイワタ新ゴに流れていくかもしれない。しかしみんな渋々だろう。イワタ新ゴはそういうフォント。

過去に、ゴナというフォントが世の中からなくなったとき、ほぼすべてが新ゴに流れた。石井ゴシックがなくなったときも、セザンヌに流れた。でもセザンヌではやはりものたりなくて、しかたなく31とかで妥協をしていた。するとこぶりなやニューセザンヌが出てきて、そこにまた流れていった。イシイゴシックに、という人もいたかもしれない。

世の中のゴシックは、そのくらいの小さな世界で成り立っている。いままで何億円かのフォントをいくつつくったかしらないが、そのくらいの小さな世界しかつくれていない。その小さな世界にすら仲間入りできずに消えていく奴もいる。

誰かの後釜になるのではなく、いろいろなゴシックから、自分のところへ流れをつくろうとした筑紫や味岡がなは、ある程度成功はしたかもしれないが、101にはなれなかった。101はトヨタであって、自民党であって、ドコモなのだ。

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