December 28, 2009

まつたけ

松茸から何を思い浮かぶか。下品なもの、高級なもの、いやらしいもの、セレブなもの、卑猥なもの、いろいろだ。

だからって何でもない。何を言いたい訳でもない。何を言いたい訳でもない時に、何が書けるのかを試してみたのだが、別段どうということもなかった。

僕の文章には癖がある。言い回しの癖。体言止めを多用したり、何かの一例として単語を羅列したり、動作を表す名詞を沢山使ったり、だ。

頭に浮かんだ文をただタイプしていき、ある程度書いたら一旦止まり、読み返す。違和感があるところは直し、続きをタイプする。結論がはじめからある訳ではなく、書いているうちに落ちを思いつく事が多い。落ちが思いつかない時は、もうその文章ごと捨てるか、適当に意味深なこと、意味不明なことを書いて終える。(ただ最近は意味深なことで終わらせるのはあまり好きではない。)全てを書き終えたら、もう一度最初から最後まで読み直して、おかしいところを直し、パブリッシュする。パブリッシュした後、もう一度サイト上で確認し、おかしいところを直す。これで終了だ。この後手を加えることはそうそうない。

僕は昔の文や絵や写真をみて、恥ずかしいとあまり思わない。恥ずかしいと思ったとして、サイトから削除しようとも思わない。直したいところはたくさんあるが、一旦全部取り下げようとは思わない。「カミングスーン」とか「工事中」とかサイトに書くひとがいるが、あれをやろうとも思わない。なぜか。めんどうだからだ。それだけだ。めんどうだから。それだけなのだ。

間もなく年明け。今年は色々なことがあって、とても盛沢山な一年であった。2009年、これ以上大事なことがおきませんように。痛いことは特にやめてください。みんな健康で、極力無理せず長生きできますように。人生普通が一番、ちょっと驚きあれば尚よろし。さて明日から忘年会ラッシュであります。帰ったら明後日の年忘れDJで掛ける曲を考えよう。人生二度目のDJだ。

December 24, 2009

ダウンロード

もう年末だ。でも僕はダウンロードをしている。動画に画像にテキストに、ダウンロードをしまくっている。いつものことだ年末だからという訳じゃない。
誰が何をダウンロードしたか、は、その人が何を食べたか、のようなものだから、政府が全て把握することは許されないのかもしれないけど、それをひとつの企業でやろうとしているところもある。とにかくどうなってしまうのか、僕にはよくわからない。予想もつかない。
ダウンロードで何が満たされるのか?何でもですよ。足りないものをいろいろと埋めてくれる。まだまだダウンロードできないものはたくさんあるけれど、そのうち何だってできるようになるだろう。昔は声だって遠隔地に伝えられなかったのだ。
ダウンロードする人は、いま世界中で増え続けている。ダウンロードとアップロードすることで、世界は回っているような気もする。やりとりしている内容は様々だけど、使っている基本システムは同じだ。そしてさらに、それをもっと速く、直感的に、気持ちよくできやしないか、そうすれば人々はそれにたくさんのお金を払うんじゃないかと考える人達が、日々研究開発に勤しんでいる。お疲れさまだ。


なんだか、宗教みたいだ、と思う。いや、正確には宗教に似ているというより、宗教が出来上がって広まって行った時のような反応を人類はしているな、と思う。なぜなら、僕の周りには二人、インターネット嫌いがいるからだ。その人達の話を聞いていて、そう思った。キリスト教を禁じた将軍と同じで、彼等にとってインターネットは、得体のしれない、気持ちの悪い、理解のできないものなんだそうだ。それがどんどん巨大になっていき、しまいには世界を、自分を飲み込んでしまうんじゃないかと不安になっているのだ。インターネットをヘビーに使いまわすギークな奴らも、将軍たちから見れば、まあ同じような感じで、異端者としてみられているんだと思う。
逆に、ギーク野郎の側、例えギークでなくても、インターネットを利用することに抵抗がなく、その発展を素直に喜ぶ側からすれば、ダウンロードとアップロードのもたらす恩恵は、過去にないすばらしさだ。単純に便利になっただけでは済まされない、心の充足を、提供してくれるのだから。

僕は、喜ばしい反面、怖いとも思う。インターネットのせいで、いま想像しているような未来ではない、まだ誰も考え付いていない未来が、今後でてくる可能性もある。マトリックスなんて茶番なのかもしれない。もっとひどいことになるかもしれない。なのに毎日、未来のことをだいたいわかったふりしてみんな生きているのは、そうでもしなけりゃ不安でやっていけないからなんだろうなあ。